人間の可能性が発揮されるということ

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ひょんなことから、ボランティアをすることになった僕は理科室で、目を覚ました。

寝袋からむくりと起きたボランティアたちは、寝ぼけ眼で校庭へ歩いて行く。とりあえずついていこう…。

するとまもなく、ヤマザキパンの配送トラックが校庭の中に入ってきた。保健室に向かって、バックする。校舎から次々と出てくるボランティアは30人くらいだろうか。

みんなでパンやお弁当が載ったパレットをうけとり、バケツリレー方式で保健室に入れていく。なるほど、校庭に面した保健室が食料庫なのか。

その後は、朝の朝礼。校舎の2階、普通の教室の半分くらいの広さの教務準備室に、ボランティアが集合する。新入りの自己紹介の後、今日の仕事が黒板に書きだされていく。

避難者名簿の作成、食料庫の管理、配給物資の分配、校庭トイレのくみ取り…

「校庭トイレのくみ取り?たしかに校庭には、金網にそって、ブルーシートが張られていたけど…」

校庭の端、半周(200mくらいだろうか)にわたって、深さ3-40cmの穴をほり、ビニールシートで区切ってトイレにしているが、それがまもなくいっぱいになりそうなので、汲み取りましょう、という話だった。しかも、手で!

なんでそんなことになってしまうかというと、小学校には数百人、もしかしたら最大800人くらいが身を寄せていた。しかし震災後ということもあり、トイレ汲みとり業者も修理業者も手一杯で、ついには学校のトイレがつかえなくなってしまったというのだ。仮設トイレの設置を依頼したが4つしか割り当てられず、どうするかを話し合った結果、校庭に穴を掘ることにしたというのだ。

ひどい匂いのするウンコをスコップですくってビニール袋に入れる作業が、僕にとってのはじめてのボランティア作業となった。幸先の良いスタート!

その日から僕は3か月間のボランティア生活が始まった。びっくりだったのは、ドロップアウトしたパンク高校生から40代後半電気工事店社長まで、多種多様な人たちが集まっていたことだった。

毎朝の朝礼で仕事の割り振りを行う。リーダーが黒板に書き出すのは、こういう仕事だ。

  • 毎回3食の準備と配給
  • 避難者の名簿作成更新
  • 食料庫の在庫管理
  • 必要としている支援物資の取りまとめ
  • 支援団体との連絡交渉
  • 支援物資の管理、配給
  • ボランティアセンターの受付(避難されている方、行方不明者を探している人の対応など、自転車の貸出業務など)
  • 区の窓口との連絡調整
  • 避難されている方々とのさまざまな調整
  • 避難者への配布物作成、印刷配布
  • 子どもたちと遊ぶこと(春休み中だったので)
  • 校庭に並べた洗濯機の管理
  • 自衛隊が設置した仮設浴場の管理

など、本当に多岐にわたっていた。

なにか課題が持ち上がると、ボランティア全員で顔を突き合わせて話し合った。避難している方々とも、何度も何度も話し合いを持った。

課題は山積みだったけど、時間も人手もお金も、圧倒的に足りなかった。課題を解決するには、クリエイティブに考えなきゃいけなかった。ボランティアは、高校生だろうが、大人だろうが、平等に意見をいい、一人がいいことを思いつき、他のみんながそれをアイデアに昇華させていった。校庭に掘ったトイレは、そういうアイデアの一つだった。

「校庭トイレのくみ取りやりたい人!」リーダーが言うな否や、多くのボランティアが競うように手を挙げた。

「そんなにいらんな〜。ほかにもいろいろ仕事があるんだよ」とリーダー。

その時、僕は思った。「こいつら、頭おかしいんじゃないか?」

お金がもらえるわけでもなく、誰から表彰されるわけでもないのに、大変な仕事、困難な仕事を喜んで引き受けていた。その日だけのことだと思っていたら、毎日がそういう感じだった。ところが1週間後、「はいはい!!」と手を挙げている自分を発見した。

そういう調子で、次々と出てくる困難な課題に対して、次々と解決していった。この人たちは、いったいなんなんだ?

分析してみると、こういうことだったと思う。

  1. 解決しなきゃいけない課題が山積み
  2. 使える資源が限られている
  3. 今までの経験・蓄積が役に立たない
  4. 答えをすぐに出さなければいけない
  5. 自分の可能性を、フルに発揮しなきゃいけない
  6. 課題を解決するには、協力しあう必要がある
  7. 自分(たち)の行為が、結果としてすぐ現れる
  8. 自分の力を発揮することが、人のために役に立つことに直結している

「危機」というのは、ある意味シンプルな状況だ。「やる」か「やらないか」しかない。「危機」は普通じゃない状況だから、「危機」たりうる。だから、今までの蓄積は役に立たない。そして、「危機」は今すぐに解決しなきゃいけない。そのためには、自分が「できること」に固執していては、ダメだ。「できそうなこと」を含めて、何をするべきかを考えなきゃいけない。そして、一人のアイデアではうまくいかないことも、複数でアイデアを化学反応させ、もっと素晴らしいアイデアを生み出せば、解決につながる。

そして限定された状況だからこそ、ジャンプするようなアイデアが必要になる。常識にとらわれず、大胆にゴールに向かう必要がある。そしてそれらが、直ぐに結果に現れるから、やりがいがあるのだ。

でも、一番大事なことは、「自分の力を発揮することが、人のために役に立つことに直結している」ことだと思う。

人間の根源的な「喜び」は、一人ではつくれない。「社会的」な関係性の中にある。大学に合格してファミコンで暇つぶしをしていた自分が、友達に呼ばれて、何気なしに行った先で、立ち上がろうと頑張る人たちの役に立てた。「誰かの役に立つ」ということは、こんなにもシンプルで、こんなにも嬉しく、深い喜びをもたらしてくれるのか、と驚きました。

大震災で、たくさんの人が亡くなった。街が大きく変わった。生き残った人も、家族を失った人も、もう一度暮らしを立てて、生きていこうと必死に頑張っていた。全国からボランティアが集まって彼らをサポートしようと努力をしていた。

行方不明のまま見つからない、食料がない、トイレがない、今までのつながりが断絶して、不便な仮設暮らしでこころの健康を損なってしまった人もたくさん。

みんなが純粋に「生きて」いた。「生きること」が困難な状況は、「生きる」ということへの渇望が強くなる。「生きる」へ向かう矢印が強くなる。そこでは、人間のすさまじいパワーが発揮されるってことなんだと思う。

地元の被災者も、ボランティアも、一人ひとりが、本当にフルに可能性を出しきっていた。誰もが、クリエイティビティを発揮していた。状況を変える力があり、実行する人が尊敬された。一人ひとりが、「生きている」。お互いに才能や思いを生かし合い「生かされている」実感があった。

「人間って、こんなにすごい生き物だったんだ…!」

こういう感覚は、今まで、誰も教えてくれなかった。 今まで自分が知っていた世界とは、完全に違う世界。

そして、大きな疑問が沸き起こってきた。普段自分が暮らしている日常は、なんなんだろう? 東京の人の表情は、どうしてこんなに暗いんだろう? どうしてこんなにも、人間が「生きていない」世界なんだろう?

そして気がついたら、ゴールデンウィーク。大学の入学式だけは東京に戻ったけど、履修登録をすっぽかし、教務課に呼び出されてこっぴどく怒られて、大学生活が始まった。

神戸で体験したことがあまりにも衝撃的で、大学の1〜3年の記憶があまりない。神戸でもらった、「大きな宿題」をどうやって解いたらいいのか、まったく見当がつかないまま、3年も経ってしまった。

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