地震後、2回目の釜石に行ってきました。今回は子どもたちを連れて。釜石中心部からクルマで30分程度行った箱崎町に、妻の実家があるのですが、箱崎町は本当に跡形もなくなくなっていました。
妻の実家はこんな風になっていました。
義母の家も以下の通り…。
現在、義母は叔母と祖父の3人で山の上にある、誰も使っていなかった家を掃除して住んでいます。見た目はこんな感じ。
3月末に訪ねたときは電気、水道は復旧していなく、ガスはガス会社が近くに落ちていたプロパンボンベをつないでくれて、使っていました。今回は4月29日に訪ねましたが、電気も復旧しましたが、水道がまだだということでした。そこで、隣に住む親戚のおじさんが、1キロ以上離れた沢に石で小さなダムを造り、流されてきたホースをつないでつないで、最後は風呂釜?に入れ、簡易の水道をつくったのだそうです。「そんなのできるわけがない」と皆に言われたそうですが、「やってみなきゃわからない」とがんばった結果だということです。本当にたくましい。
水圧はとても低いですが、毎日水を汲みに行っていたことを考えれば、すごい前進。
顔を洗う娘。
プロパンはガスコンロにしかつながっていないため、お湯はもちろん出ないので、家の屋でほこりをかぶっていたメガネストーブをきれいにして、毎日薪をくべてお湯を沸かします。
当たり前ですが、こたつにも電気が来ていなかったため、ここでわかしたお湯を湯たんぽ2つに入れ、こたつの中に入れます。もちろん電気ほどではありませんが、十分に暖かいのにはびっくりしました。今年の冬は我が家も湯たんぽこたつにしたい。湯たんぽのお湯は朝になると顔を洗うのにちょうど良い温かさになっているので、それも捨てることなく使い切ります。
そして、ごはんは電気炊飯器が使えなかったので、外のメガネストーブにて、お釜で炊きます。
これが、なんだかすごくおいしいのです。2度目に訪ねた際には電気が復旧ていたので、親戚から送られてきた炊飯器で炊いていましたが、義母曰く「お釜の方がずっとおいしいね」と言っていました。
今回は見られなかったんですが、はじめの頃はわかめを煮る大きな釜を使って、お風呂を沸かして入っていたそうです。
こんな暮らしですが、「昔の暮らしに戻るだけだから」と笑いながら、日が昇れば起きて、日が沈めば寝て、沢に洗濯に行き、山に山菜を採り、お釜でご飯を炊き、シンプルに生きているのでした。
義母たちの家にいると、朝から晩まで、ご飯時でもまったくかまわず、お隣さん、親戚、友人がひっきりなしに訪ねてきて、ご飯時なら一緒にご飯を食べて、しゃべって帰って行きます。
もちろん話題は「○○さんは仕事中で津波に流された」みたいな話題ばかりですが、困ったことがあれば助け合って、みんながみんなの面倒を見て、楽しく語り合って生きている。田舎は豊かで強いなあ、と思いました。
いろんな人に聞いた話を総合すると、地震の後、コミュニティの絆が失われてしまった都市部や都市周辺よりも、こういった田舎のほうが精神的な状態は良いように思いました。
シンプルだけど、豊か。改めて、自分たちがどんな暮らしをしたいか、どんなコミュニティをつくっていきたいか、いろんな気づきを与えてくれました。
Some Right Reserved. photo by Irargerich
子どもたちを連れて、妻の故郷、釜石に来ている。
義母たちは家をすべて流され、山の上の一軒家に身を寄せて暮らしている。
そこに泊まらせてもらっているのだが、夜、何気なく外に出てみたら、星空が本当にきれいだった。電気は最近復旧したそうだが、家々は流され、集落は本当に暗い。(上の写真は釜石の星空じゃないです)
しばらく星空を眺めていて、地球も宇宙空間に浮かぶ星で、その上に今いるんだなあと実感した。
冷え切った冷たい宇宙の中で、星々は燃え、引かれ合い、地球は太陽の周りを周り、地球の中心を回っている。そんな地球では、海も星々の影響を受け、満ち引きする。中心はいまだ煮えたぎる地球は、地表が冷えていることで、はじめていのちをはぐくむことができる。45億年の歴史の中で、人類の歴史はたったの20万年。そういう地球に私たちは生きている。
地震は生きている地球の営みであるし、津波も同様だ。こういうことが最近何億年かだけでも、何千回も起きているんだろう。そういうスケールで考えると、地球と宇宙の驚異的なちからに、人間の考えることなんて完全に超えた、大きななにかを感じる。
陳腐な表現だけど、人間なんて、本当にちっぽけな存在。
今回、なすすべもなかったスーパー堤防も、「絶対に安全」と言っていた原発事故も、自然に対する敬意がなかった、ということなんだなあ、と思う。
自然に勝というとする限り、勝つことは永遠にできない。けど、共存はさせてもらえる。人間がどう生きるべきか。どういう社会をつくるか、本当に考え直さなきゃ行けない。